プルタブを開ける事ができない。

爪が死ぬほどないので……

推している理由

タ…チオさんを推している理由。
絶対説明が補足必要だけれど一言で言える。
「熱量」
これは一生変わらない。


そもそも僕は自身に熱量がない。
熱量って言うか「エネルギー」の方がこれ以降のことを書きやすいな。

人間って生きるのにエネルギーが必要で。
どのぐらい消費するか、何からエネルギーを補給できるかは人それぞれだけれど、やりたくないことをする時はすごく使う。
好きなことをしている時は溜まる。ゼロになったら動けなくなる。

そして、僕は人より というか世間一般の平均からしてエネルギーを要求してくる行動とその消費量が大きい。
寝るのは精神的に疲れる。食事もそう。
HPは回復するけどMPがって感じ。

この界隈にいると仲間がいっぱいいるから麻痺してくるけど、これは宜しくない状況。
そんなの分かってる。
だから抗うつ剤とか眠剤とかでエネルギー補填してる。


んでもって、趣味ってのは2種類ある。
受動的なものと能動的なもの。

受動的な趣味は、誰かが作ったものからエネルギーを得る。
音を聴いたり画面や文字を見たりすればエネルギーを消費するけれど好きなことならそんなに消費しない。
そして消費を上回る量が補填できる。
たまに地雷とか嫌なもの見ちゃってエネルギーが削られる。

能動的なのは大きなエネルギーをつかって、物を生み出す。
生み出すこと自体からエネルギーを補填できる人もいるし、生み出したものから補填できる人もいる。
マズローの欲求階層で言えば、多くの場合は社会的欲求以上が満たされることになるから相当補填できるんじゃないかな。
もちろん消費も激しい。だから表現者や創作者がよく死ぬ。頑張れ。

エネルギーを使って生み出されたものからはそれを感じられる。と、思う。
たまになんでもないようにしれっと見せてくるやつあるけれど。それは例外。

あとこれは╞anatic結成以降に言語化できるようになってきたことなんだけど、かけられたエネルギーの表出のされ方には色んな形がある。
しこたま勝手に例に出すけど、例えばくろのさんとタラ…オさんが同じ熱量でひとつの楽曲を生み出したとして(実際に測ることはできないけれど)、それから感じられるエネルギーはきっと別のベクトル。
それの違いがジャンルとか、方向性とか、雰囲気とか、そういうものなんだろうけど。



そういう前提の上で。
数多の表現方法と創作者がいる中で、私が好きになったのがタ…チオさんだった。

僕には最早自分の力で死なずにいるだけのエネルギーがないし、創作でエネルギーを得られる機構もない。10年以上修理待ち。
何とか誰かの生み出したもの使って補填しながら生きてる。

そんな僕にとって、小細工無しのただただ純粋な「熱」でぶん殴ってくる彼の歌はめちゃくちゃ有難かった。
そもそも本人が歌にかける、音楽にかける熱量が半端じゃない上にそれを受け取るために考察だとか咀嚼だとかのエネルギーを必要とする行為をしなくてもいい。
ひたすらわかりやすい熱の塊。

もちろん、ちゃんと自分もエネルギーをかけて受け取った方がいいものだってある。けどそれはその投資をする余剰がある時にすればいい。

生理的欲求すら自力で満たせないぐらいにエネルギーが枯渇していても、家の外に出て交通機関に乗って人混みに紛れてライブ会場まで行く為にエネルギー負債を負ったとしても。
1回のワンマンで、それを全部チャラにした上に半月は生きてける量のエネルギーを受け取れる。
まあライブで受け取れる熱の中には一緒に周りで狂ってる人達の熱もあるけれど。

家の中でうっかりエネルギー切らしちゃって動けなくなっても、ライブ映像を見ればとりあえず半日動けるだけのエネルギーを受け取れる。
なんもしなけりゃその後2日は動けなくなるぐらいの消費激しい行動も、曲聴きながらやれば消費エネルギーの大半は補える。


もう単純にめちゃくちゃ助かってる。
おかけで「エネルギー切れの行動不能によるリタイア」なんて中途半端な終わり方せずに何とか理想のエンディングに向かって進められてる。
長く続けるつもりのない生涯だけど、一生推す。
だから頼むから絶対生きててくれってずっと思ってる。

文章書くエネルギーに加えて、こういう考えに至ると消費急に増えるからやめとくね。
おしまい!